私のブログをご覧いただき、ありがとうございます。
あなたがここに来られたのは何かお困りごとがあるから、でしょうか?
結婚に疑問を感じている、婚活してるけどなんだかうまくいかない、そんな感じ・・・ですか?

あるいは親から結婚せよとうるさく言われているとか。

そんなあなたが少しでもホッとできるお話をお伝えしたいと思います。

お届けするのは大阪市中央区の結婚相談所マナマナでカウンセラーをしています坂田芳弘です。
大阪のちいさな結婚相談所マナマナは小規模ですが8万名程度(2022年9月現在)の会員数を誇る日本結婚相談所連盟に所属しています。
大阪から全国へオンラインで活動を展開している成婚率が約40%の結婚相談所です。

今、私は私の母親の結婚を考えています。
今の時代とは異なる結婚観。
だけど、その時代の感覚を私たちは引きついでいるのです。

結婚ってなんだろう?

あなたのご両親の、そのまたご両親の時代のお話かもしれません。
そんな時代のことが参考になるの?って思われたかも知れませんね。

だけど、その時代の両親がいて私たちは今の時代を生きているのです。
私も母の結婚観を直接聞いたわけではありません。
でも、今、こんな気持ちで私と姉を育ててくれた母親に感謝しています。

ひとりで旅立った母

昨日は母が8人兄弟の長男だった父(故人)のもとへ

嫁いできて、私を産んだところまでの話をしました。

その母も93歳でこの世を去りました。

母親の最後は病院でした。

午前3時半頃に連絡を受けて病院へ生きましたが時すでに遅し。

なんだかむなしい感覚に襲われました。

もっとしてあげられることはなかったのかなぁって。

ひとりが好きだった気丈な母は私たちに最期の姿を見せたくなかったのでしょうね。

母の本音

それは突然のことでした。

母が施設にお世話になりだした際に、ふと口にしたお話があります。

母が若いころに好きだった人が九州にいた、

と言うような話をポツリとしたのです。

それ以降はもうそんな話はしなくなりました。

今の母の頭の中にはいつの記憶が残っているのかは

定かではありませんが、

もう母と父の結婚のいきさつを確認する方法は

なくなってしまいました。

でも、その話を聞いた時にホッとしたことを覚えています。

気の強い母でしたが、叶わぬ恋心をいだいた時期もあったんだ。

でもその気持ちを完結することができないままこの世を去ったことに悲しさを感じたものです。

私たちはそんな母親の名残を思い、幸せに生きる必要があるのだと感じた瞬間でした。

昭和時代を生き抜いた母

昭和の初めころに生まれた母と大正の後期生まれの父が結婚した当時のことを考えてみますね。

恐らくその頃は「家同士」で結婚を決めていた時代なのでしょう。

親同士が結婚を決めて、突然にあの家へ嫁に行け!と言われることもあったのでしょう。

そして嫁いだ家の習慣(文化?)に合わせて生活していかねばならなかったのです。

そんな母からすれば、好き同士だからと言って遠くの家に嫁に行きたいと言う姉の結婚には賛同しかねたのかも知れません。

このように昭和の時代でも結婚はそんなに自由な時代ではないときがあったのです。

つまり、昭和時代の結婚観は個人と個人の結びつきではなくまだ家と家の結びつきが中心にあったと言えます。

相手の家の習慣に合わせることは辛いことではあったかと思いますが、そんなことは言っておられなかった時代だたのです。

結婚して幸せに暮らすこと

結局、母の結婚観としては娘は親の意に沿った家に嫁いで嫁いだ家の風習に合わせてその家の役に立つ・・・

そんなところだったのかも知れません。

それが自分の経験と照らし合わせると、大農家に嫁入りすると言うことはすごくつらいことで、娘を幸せにしてやることができない、と母親は感じたのでしょう。

どんなに時代が変わっても、子供の幸せを考えない親はいないと言うこと。

これだけは事実だと思います。

あなたが親御さんの気持ちを測りかねているのでしたら、親御さんの時代背景を考えてみてください。

ご両親の感覚で、一生懸命あなたの幸せを考えてくれているのだと思いますよ!

そしてあなたは新しい時代に新しい文化を生み出すことに喜びを感じてください。

コチラの記事も参考にしてみてくださいね!

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