最近に耳にした言葉、高齢者多死化社会。なんだか不気味な言葉ですね。
少子化という言葉は聞いたことがあるのですが、これからは高齢者と呼ばれる方々も増えてきます。
高齢者が増えるということは、亡くなられる方も増えてくる、そう言うことなのでしょう。

特に人口減少が始まっている日本社会においては高齢化が進んでいますので、この多死化社会になることは確実となっています。

そんな時代における結婚とは?

お届けするのは大阪市中央区の結婚相談所マナマナでカウンセラーをしています坂田芳弘です。
大阪のちいさな結婚相談所マナマナは小規模ですが8万名程度(2022年9月現在)の会員数を誇る日本結婚相談所連盟に所属しています。
大阪から全国へオンラインで活動を展開している成婚率が約40%の結婚相談所です。

高齢者が増えることは仕方がないことだとしても、少子化は何としても避けなければなりません。
だって、そうしないとバランスが崩れてしまいますもの。
人類の生態系とでもいいましょうか・・・

結婚するのかしないのか、それはあなたの自由なのです。
だけど、この日本という国にどのような社会にするのか?に対しても一人一人が責任を持つべきだと思うのです。

少子高齢化を別な言葉で言うと?

「高齢者多死化社会」という言葉を最近参加したセミナーで聞きました。
高齢者が増えるにつれて死者も増えてくるというお話です。

では、高齢者多死化社会は何が問題なのでしょうか?
これは少子化という現象と併せて考える必要がありそうです。

高齢化社会、高齢者の割合が多い社会を違った見方をすると、子供が少ない少子化社会が見えてきます。
よく少子高齢化社会とも言われたりしますよね?

高齢化そのものは医学の進展によってもたらされた、「良いこと」なのでしょう。
しかし、新たに生まれてくる命が少ない、いわゆる少子化がやはり問題なのでしょう。

それと、昭和の時代から続く核家族化。
あらたな命を授かったとしても、せいぜい「親子」関係の中でのみ形成される家族。

そう、家族の中に高齢者がいないこともなんとなく問題になっているかなぁと思います。

その一つの現象が高齢者の一人住まい。
身寄りのないお年寄りが人知れずなくなっていく、そんな寂しいニュースを耳にすることがあります。

高齢者多死化社会と言うのは少子高齢化社会の別な言い方、だったのですね。

私たちも一人でも多くの方に結婚していただいて、少子化に歯止めをかける役割を果たしていきたいと願っています。

出生者と死者数から家族の在り方を考える

ここでは実際の数字を見てみましょう。

2016年に生まれた赤ん坊が100万人を切ったのに対して、2040年には高齢者の死亡が160万人を超えてくるのだそうです。

確かに平均寿命が伸びているのですからもっともなことなのでしょう。
しかし、単身の高齢者も増えているので、亡くなった方の身寄りを探したり、財産を承継などの手続きが煩雑になるというように、新たな社会問題につながる可能性もあるのです。

身寄りを探すためには住民票を頼りに探し当てた親族に連絡を取るしかないようです。
しかも最近は番号案内への登録者が少ないため、名前と住所が分かっても電話番号が分からないので郵便しか手段がないようです。

深刻な問題は親族が見つかったとしても引き取りを拒否されることもあるという事実。

高齢者の健康が良く問題視されますが、独居老人問題の方が深刻なように思います。
いかに健康で歳を重ねていくのか?とともに、高齢者がどうやって社会の中で繋がりを持って行くのか?

今では高齢者向けの施設も拡充されてきています。
でも施設での繋がりはあくまでも他人との繋がりなのです。

他人とのつながりも社会の中では必要なことですが、それ以上に大切なのは家族との繋がりだと感じています。
「高齢者」と位置付けれらる祖母・祖父を家族がきちんと看取ってあげる、イヤ、看取りは施設の方にお願いすることはあっても、亡くなったあとの手続きには家族の力が必要なのです。

広がる世代間のコミュニケーションギャップ

一方で、若い方と歳を重ねた方の間でのミスコミュニケーションも問題になっているようです。
これは私も経験した親の介護で感じたことですが、やはり住まいが別になっていると普段何を考えて、どのような行動をしているのかが分からなくなります。

いま、目の前の現象だけ見てきつく意見をしてしまう、身内にはついついきつくなってしまうという経験はありませんか?

亡くなった私の母が、訪れるたびに冷蔵庫の氷がくっついててなかなか取れなくなって困ったことがあります。
それを製氷機へ水を入れる方法が間違ってるんや!って怒っていましたが、母親が亡くなってからその冷蔵庫を見てみるとどうも故障していたようだったのです。

それも知らずにきつい言葉を発してしまった自分が嫌になったことを記憶しています。
恐らく一緒に暮らしていればそんなこともないのでしょうけどね。

私自身、幼少の頃には祖母も一緒に暮らしていていろんなことを教えてもらった記憶があります。
そして、亡くなった時に見た親族の人間関係や、なによりも死を身近に感じて不思議な感覚を味わえたことも今から思えばいい経験だったように思います。

価値観の異なる高齢者との生活を嫌がることよりも家族の中でのコミュニケーションを自分の経験値として積み上げて行けるような家族の在り方を考え直す必要があるのではないかと考えさせられました。

高齢者多死化社会における結婚って?

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そして私も高齢者と呼ばれる世代に近づいてきました。このような高齢者が増えてくると結婚観って変わるのでしょうか?

それを考えるには昭和時代の結婚観を考える必要があると思います。私の両親は大正の終わりから昭和にかけて生まれています。そんな両親の結婚観を考えてみることも大切なのでは?と思います。

恐らく昭和時代は結婚=イエを守る、ことが大切な価値観だったのです。その考え方は決して古い価値観ではなく、イエを家族と捉えると当たりまえの価値観だったのかも知れません。

親から子に、そして孫に一つ屋根の下で家族として生活する中で大切な価値観を繋いで行く、あるいは新たな価値観を生み出すために古い価値観に触れることができる、それが家族の価値なんだろうと思います。

昭和時代の価値観を取り入れるのではなく、他人としての生きざまを、自分が自分らしく生きていくために高齢者が生きてきた価値観を知る機会がある家族というのは大きな意味があるのだと感じました。

おかげさまで私は自分の両親や妻の両親と近くで暮らし、そして見送らせてもらうという今の社会では貴重な経験をさせていただきました。

そして今、その経験上から孫が住む家の近所で住まいさせていただいてます。
ときおり娘が孫たちを連れてやってきて、祖母・祖父の役割を与えてもらっていることに感謝しています。

そんな私たちの経験を、新たな時代の結婚観をとらえていくために活用してもらえたらありがたいと感じています。

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