母の結婚

私は母がどういう経緯で結婚したのかは知りません。
でも生まれたのは姫路の方だったようです。
亡くなってから結婚するまでの謄本が必要になったため、姫路の市役所にまで取りにいってわかったことです。
なんでも、その昔、姫路の山奥から加古川まで出てきたことは聞いたことがあるのですが・・

よくある、親同士が結婚を決めて、その決められた家に嫁いできた、そんなところなんだろうなぁと思います。

嫁いだ先は8人兄弟の長男の家。
嫁・姑、小姑とのよろしくない関係は当然にあったのでしょうね。

姉が生まれたときに、一安心したとか。
でもその折に小姑たちからは「男の子を産まんとあかんで!」
といったようなことを言われ、計画的に私が生まれたというような話も聞きました。

やはり昔はそうだったんやなぁと感じたものでした。

そうして、姉が山口の男性と結婚するとなった時、母の怒りの大きさを感じました。
なんで、山口の長男の、しかも農家の長男の家に嫁にいかんとあかんのか?
怒り心頭のようでした。
私がそれでも二人が好きやったらいいやんか!っていうと、

「あんたにはわからへん!」
と一喝されました。

多分、農家の長男の家に嫁ぐということがどれほど辛いことかを知っていたのかも知れませんね。
でも、旦那さんがいい人だったので良かったです。
母の怒りは間もなく治まりました。

姑が老いて認知症を患って近所に迷惑がかかるようになっても、
母が一人で介護し、面倒を見ていました。
その祖母が亡くなった葬儀の日、小姑たちの口から出た言葉は
「あんたが医者に頼んで注射してもらったんと違うのん?」
「棺にわらじが入ってなかったんと違う?」
あまりにも勝手な言い分に腹が立って、文句を言おうとしたとき、母に止められました。

母は、
「おばあちゃんが最期に私に世話になったなぁ」
と言ってくれた一言ですべてを許せると。

血のつながりではなく、最期を誰の世話になったのかは逝く人にはちゃんとわかってるんやなぁと思いました。

その後、田舎の家だった家を少しづつ改築しながら自分にとって居心地のいい家を作り上げていました。
その家には執着のあった母。
デイサービスや施設のお世話になることを極端に嫌がっていました。
自分が建てた家を守りたかったんでしょうね。

そんな母が認知症の検査を受けたとき、
先生が覚えさせて品物をしまって、
「さっきここに何があった?」と聞きました。
すると、即座に
「あんたが応えて!」
って言いました。

プライドは高かったんだと思います。

そんな母も施設にお世話になりだすと、あれだけ執着していた家の話はこれっぽっちも出なくなりました。
お墓の世話をするのも他の人と競争するようにしていたのに、お墓の話も出ません。
最期に死に目に会えなかったのも、ひょっとすると母が最期の姿を見せたくなかったのかなぁとも思いました。

私には・・なんとなく・・わかるような気がします。

ひょっとすると私もそうするのかも??

母の結婚はなんだったのでしょう?

ひたすら家を自分が住みやすくなるように手入れをすることと
子供である私や姉の成長を見守ることがその生活の中心にあったことは事実です。

朝の3時に起きて、8人兄弟の弁当や朝ご飯の準備をしてから姫路へ始発の電車に乗って働きに出る・・

大変な生活だったとは思うのですが、ひょっとすると始発で姫路へ向かう車中が母のこころが安らぐ時間だったのかも知れませんね。

おかげさまで、私も死を考える歳になりました。
母が大切にしたかったものは、ひょっとすると一人になる時間だったのかもしれないなぁと感じました。

母がつないできた「イエ」を私は自分の代で終わらせる決意をしました。
そして、「イエ」にとらわれない生き方をすること。
それが母が結婚して産まれた私に引き継いだことなのかも知れません。

って勝手に思っています。

結婚の意味って、やっぱり受け継いだもの⇒自分で創り上げたもの⇒後世に残して進化させてもらう

そんなことなのかなぁって感じました。